ゴスペルクワイヤ エバーラスティング・ジョイ Everlasting Joy
ゴスペルの歴史

はじめに

この「ゴスペルの歴史」の前半部分では奴隷制度の時代から

西暦2000年の現代に至るまで、音楽としてのゴスペルが

どのように変遷していったかについて記述してある。

それは一言で言うと、その時々の世俗音楽と反目しながらも、

それを積極的に自らのうちに取り入れていった

柔軟性に富んだ音楽の歴史といえるだろう。

この「ゴスペルの歴史」は、1章から順に読み進んでもらっても、

興味のある章のみ読んでくださっても

問題ないが、ぜひ上記の点だけは念頭に入れて読んでいただきたい。

 

また後半部分では「バイオグラフィー」として、本文の内容がより立体的になるように、

章毎に参考CDのリストを添付しておいた。いわば「音で聴くゴスペルの歴史」である。

 

筆者としては、これらの資料をご活用頂いて、ゴスペルミュージックの

「音のむこうがわ」にあるものを感じ取っていただき、ぜひクワイアーで唄うという

日常の実践に役立てていただきたい、と切に願っている次第である。


1.スピリチュアルズ ― 奴隷制度とキリスト教(18世紀〜19世紀前半)

 

黒人たちは、奴隷としてアフリカからアメリカ大陸に連れて来られ、

それまでの宗教からキリスト教に無理矢理改宗させられた。これは事実である。

しかし、キリスト教のうち、支配者にとって都合のよい部分を取り去ったその向こう側に、

自分たちの苦しみを救ってくれる神の存在がある、ということを黒人たちは感じて、

自ら神に向かって救いを求める歌をうたいはじめた。

 

こうして、彼らは白人の宗教音楽に、いわゆる黒っぽい唄い方を付け加え、

黒人たちの初期の宗教歌であるスピリチュアルズ(黒人霊歌)を作り上げていった。


2.ジュビリー ― 黒人の自立化(19世紀後半)

 

奴隷解放後、もうひとつ重要な宗教音楽のスタイルが黒人の間で生まれた。

 

奴隷時代と違い、”自由”が現実的なものになりつつあった黒人たちが、

彼らの宗教歌であるスピリチュアルズや歓びのうた=ジュビリーソングを唄うことによって、

黒人の地位を少しでも高めようとする動きがそのスタイルを生んだのだ。

 

1871年にナッシュビルのフィスク大学を出発した黒人男女11人組は、

フィスク・ジュビリー・シンガーズと名のり、自分たちの文化であるスピリチュアルズの存在を

全米中でアピールし、英国女王の前でもその歌をうたった。

 

この、フィスク・ジュビリー・シンガーズのようなコーラス・スタイルを持つものを、

その後一般的に「ジュビリー」と呼ぶようになった。


3.ホーリネス教会 ― スピリチュアルズと世俗音楽の出会い(1900年代)

 

19世紀以前、黒人キリスト教の主流はバプティストやメソジスト派であったが、

19世紀末にサンクファイド・チャーチとかホーリネス教会とか呼ばれる、より小さな宗派が誕生した。

 

このホーリネス教会で演奏されるスピリチュアルズの特徴は、

ピアノ、コルネットなどの楽器を早くから取り入れた点で、

スピリチュアルズを当時流行していたラグタイム調のリズムを用いて演奏し、

アカペラ(無伴奏)であるバプティストやメソジストのスピリチュアルズとは、

その点において明らかに一線を画していた。すなわちホーリネス教会では、

その当時流行している音楽をスピリチュアルズに取り込むことに比較的抵抗がなく、

この差異こそが後述する「ゴスペル」を普及させる下地を作ったのである。


4.トーマス・ドーシー ―ゴスペルの父(1930年代)

 

20年代のホーリネス教会で象徴されるような宗教音楽と世俗音楽との交流は、

30年代になってある男の手によって、さらに加速されることとなった。

 

当時、ブルース界でトップ・ミュージシャン&作曲家であった

ジョージア・トムことトーマス・A・ドーシーが、教会音楽の世界に転向したのである。

彼の書くブルース・フィーリングあふれる曲は、それまでのスピリチュアルズとは

明らかに異なっていたため、それまでのスピリチュアルズと区別するため

「ゴスペル」と呼ばれるようになった。

 

彼は、アフロアメリカン作曲家によるゴスペル曲のみを扱う初の出版会社を設立し、

また自らもハードな地方巡業を精力的にこなし「ゴスペル」を全米に広めていった。

ドーシーは生涯に膨大な数の曲を作曲し、その代表作「プレシャス・ロード」

「ピース・イン・ザ・バレー」などはゴスペルのスタンダードとして、

黒人、白人の別を問わず広く歌い継がれている。


5.カルテット ― ジュビリーからハードへ(1930年代〜50年代)

 

2章で述べた「ジュビリー」は、今聴いても白人の宗教コーラスと区別がつかないほどで、

ノリは軽く、いわゆるディープな感覚というものはない。

ノーフォークを中心とする東部ではこうしたジュビリー系の流れを汲む

男声コーラス=カルテットが数多く存在した。

 

一方、アラバマ州を中心とする南部では、スローで重々しく、

特にハーモニーが厚いのが特徴的なカルテットが30年代になって出現し、

これが40年代〜50年代にかけてのカルテット黄金時代の先駆けとなった。

黄金時代にはシャウター、ファルセッターなど個性的なシンガーが多数活躍し、

カルテットは男の子達のあこがれであった。

 

そもそもカルテットとはコーラスの人数を指すのではなく、リード、テナー、

バリトン、ベースという4つのパートからなるコーラススタイルゆえにその名前がある。

テキサスからのちシカゴに移ったソウル・スターラーズは、30年代後半にカルテット界では

初めて5人目のメンバーを採用し、完璧な四部合唱を保ちながら

リードシンガーが唄うというスタイルになり、今日ではそのスタイルが定着している。


6.ゴスペルの黄金時代 ―女性ソロシンガーの台頭(1940年代〜50年代)

 

 黒人教会の主流であったバプティストやメソジスト派は、

どちらかというと男性優位の社会であり、したがってカルテットが多く輩出されたされたのに対し、

3章で述べたホーリネス教会では稀代の女性ソロシンガーが多数出現した。

彼女らは好んでドーシーなどの「ゴスペル」を取り上げ、もともとブルースフィーリング溢れる曲に

スラーやメリスマといった装飾を加え、芸術性豊かな作品にしていった。

 

 特に40年代から50年代にかけては、特に才能あふれるシンガーが多数輩出し、

「ゴスペルの黄金時代」と呼ばれる時期をつくった。

この時期になると、今までスピリチュアルズや賛美歌を中心に唄っていたカルテットも

ゴスペルを唄うようになり、「黒人宗教歌=ゴスペル」という図式が成立するようになってきた。

 

ただし先述したように、カルテットとソロシンガーや混声グループは

その成り立ちや母体となる宗派が異なるという点は以後も留意しておく必要がある。


7.サム・クック ―カルテットの衰退(1960年代)

 

5章で述べた「ソウル・スターラーズ」の2代目リードシンガーである

サム・クックは正に天才シンガーであった。

彼はスターラーズの初代リードシンガーであるR.H.ハリスをはじめ、

この時代の才能あふれるシンガーたちのスタイルを消化し、彼独自のスタイルを創り上げていった。

その彼が1957年、更なる商業的成功を求めて世俗音楽(ポップス)の世界へ転向した。

 

ゴスペル界当時から圧倒的に若い女性に人気のあった彼はポップス界でも大成功を収め、

これが契機となってカルテット界の有力なシンガーたちが多数、ポップス界へと流出していった。

こうして60年代は、それまでのカルテットに替わるエキサイティングな音楽として、

「ソウル」というジャンルが世俗音楽の世界で隆盛を極め、

かわって有力シンガーたちが流出したカルテット界は、次第に衰退を余儀なくされた。


8.ジェームズ・クリーブランド ―クワイアーの起用(1960年代)

 

それまで、あまり陽のあたらない存在であったクワイアー(聖歌隊)という存在に脚光を当てたのが、

ゴスペル界のプリンスであるジェームズ・クリーブランドである。

彼はいくつかのグループを経験した後、1959年に初めてクワイアーと

「ザ・ラブ・オブ・ゴッド」という曲をレコーディングし、これが大ヒットとなった。

彼のアレンジははジャズっぽいピアノ、ソウルっぽいオルガンのバックの上に

壮大なクワイアーが唄うというもので、それまでのゴスペルサウンドを革新した。

 

その後1990年に亡くなるまで数え切れないほどのヒット曲を製作し、

ゴスペルシンガー、ピアニスト、作曲家、クワイアーリーダー、指揮者、プロデューサー、

そしてゴスペル・ミュージック・ワークショップ・オブ・アメリカ(GMWA)の設立、

組織運営と一貫してクワイアーの発展に力を注いだ。


9.オー・ハッピー・ディ ―ゴスペル界のニューウェイブ(1970年代)

 

7,8章で述べたように60年代以降、それまでよりゴスペルとソウルの距離が接近したが、

その距離をを更に縮める役目をしたのが、1969年にゴスペル界では初めて

全米ナンバー・ワン・ヒットになったエドウィン・ホーキンス「オー・ハッピー・ディ」である。

この曲は近年ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使のラブソング2」に挿入され、

日本でもおなじみのナンバーである。

 

これ以降、若いゴスペルアーティストたちは積極的にソウルなど

ゴスペル以外の要素を自らの音楽の中に取り入れていった。

なかでもアンドレ・クラウチは70年代に、それまでゴスペル界では見られなかった、

小声でささやくようなボーカルスタイルと美しいバラード曲、

そしてソウル・ミュージック風のアレンジで

黒人のみならず、白人からも支持され、一躍、時の人となった。


10.二極化 ― 伝統への回帰とアーバン・コンテンポラリー

 

80年代に入ってゴスペル界に起きたこと、ひとつはソウルシンガーのゴスペル界への里帰りであった。

70年代、ソウル界でヒットメーカーであったアル・グリーンは1980年にゴスペル界へ転向し、

1981年にはグラミー賞を受賞している。80年代のソウル界はディスコブームであったため、

歌を唄う場を奪われた実力シンガーたちはこぞってゴスペル界へ転向した。

 

もうひとつの流れは、アーバン・コンテンポラリーなる新しいスタイルのゴスペルが登場したことだ。

ワイナンズやそのファミリーたちは積極的にR&B界の売れっ子プロデューサーを次々と登用していき、

音だけ聞いていると80年代のR&Bとなんら変わるところがないサウンドを作り出し、

若いリスナーから大きな支持を得た。


11.コンテンポラリー・ゴスペル・クワイアー

 

―クワイアーの圧倒的優位(1990年代)

 

 70年代にソウルと接近したクワイアーサウンドは、その後ディスコサウンドなどと接近した後、

80年代の後半にはフュージョンサウンドと接近し、テンションの多い複雑なコードや、

シンコペートする16ビートを自らの内に取り入れていった。

シカゴのミルトン・ブランソン師とトンプソン・コミュニティ・シンガーズはいち早くこのサウンドをわがものとし、

次いでノース・カロライナのジョン・P.キー&ザ・ニュー・ライフ・コミュニティ・クワイアーが続き、

この2バンドは80年代末から90年代にかけてヒットを量産した。これに影響され、

全米で次々と新しいクワイアーが誕生していった。

 

なかでも、ロサンジェルスのカーク・フランクリン&ザ・ファミリー

ノース・カロライナのドナルド・ローレンス&ザ・トライ・シティ・シンガーズ

ヒップホップの要素をゴスペルに取り入れ、ゴスペルを更に革新的な方向へと牽引していった。

 

以上のように90年代は圧倒的にクワイアー優位の状況であり、

新たなるニューヒーローが多数出現した時期でもあった。


12.耳触りのよい音 ― 2000年以降の大予想

 

さて今年(2000年)以降はどうなるのであろう? 

詳しくは歴史の審判を待たねばならないが、今ある情報から大胆にも予想をしてみよう。

 

90年代のおわりにかけてフランク・ウィリアムスオランダ・ドレーパー

ミルトン・ブランソンといった優れたクワイアーリーダーたちがあいついで死去し、

2000年以降はそれまでのクワイアー優位の状況が変わってくるだろう。

 

かわりにR&B界で大流行している「耳触りがよい音」がゴスペルにも求められるようになり、

迫力を売り物にしていたクワイアーは敬遠されることになる。

したがってR&Bテイストを身につけたソロシンガーやテイク6のような

ニュー・カルテットがこれまで以上に台頭してくると考えられる。

 

したがってゴスペル界とR&B界の垣根はますます低くなり、

1人のアーティストがゴスペルを唄ったり、R&Bを唄ったりという事も十分考えられる。

また、ゴスペルのアルバムにR&B界のスターがゲスト参加したり、

その逆なんてこともきっと起こってくるだろう。

(案外ブライアン・マックナイトがゴスペルアルバムを制作したりなんかして…)

 

しかし、ほんとうにそうなってしまえばゴスペルとR&Bの境界はどこにあるのか? 

単純に神さまのことを歌詞に書いたらゴスペルになるのか? 

考えれば考えるほど解らなくなってしまう。

今までいっしょに見てきたゴスペルの歴史を基にして、皆さんも一度考えてみてください。

 

   「ゴスペル・ミュージックとはいったい何なのか?」


文責:ワシオ

 

参考文献:

 

歌でたどるGospelの歴史 神戸・マス・クワイア

Precious Lordと彼岸信仰 神戸・マス・クワイア

R&B、ソウルの世界 鈴木啓志

ゴスペルサウンド アンソニー・ヘイルバット

The Gospel Box Testify リン・ウッズ

The Invitation To The Gospel Sound I,II,III 鷲尾経一


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